前向きのような、後ろ向きのような。

夫が遅出の日なので、午前中二人でいつものようにジョギングに行く。気温が低くても、日差しがあるだけで全然違う。あぁ、引きこもり主婦にも春は来るんだな~と思った。

 

引きこもりと言っても、こうやってジョギングしたり、夫と映画行ったりはするんだから、本当の意味での引きこもりではない訳だ。精神的・心情的な引きこもり感が若干あるという程度のものである。本人にとっては、結構鬱陶しいものだけど。

 

それにしても、些細なことに幸せを感じるよりは、些細なことに苛立つことのほうが圧倒的に多いのはなぜなんだろう。

 

天気がよくて、赤信号に引っかからなくてすーっと車が進み、買い物に行ったら欲しいものが特売になっていて、ラジオからはタイミングよく自分の好きな曲が流れて、「あぁ、なんか幸せ。」と思った気分が、花屋の店員さんのちょっとした不愛想な態度で台無しになる。

 

実際のところ、私が不愛想と思っただけでぜんぜん他意はなくて、ただの思い過ごしなのかもしれないのに。他人のちょっとした言動に苛々したり、自分のちょっとした失敗に苛々したりする。そして、それは思いのほか長く続いてしまう。そんな小さなことで、後の一日が不愉快なまま終わったりもする。

 

あの時こんなふうに言い返せば良かったと後から思って、頭の中で言ってみて溜飲を下げるが、そんなことで気が晴れる訳もなくてかえって疲れる。こんなふうになるのは、色んな意味で耐性や免疫力が落ちてるのだろう。

 

疲れているのかもしれないし、季節の変わり目だからかもしれないし、性格だからかもしれないし、猫が病気で心配だからかもしれないし、じつはまだ更年期が続いているからかもしれないし…と考える。

 

いやいや、そんなことを言っててはいけない。幸せは気の持ちよう、自分の心持が幸不幸をつくるんだよ、と自分に言い聞かせる。些細なことに一喜一憂せずに、今ある小さな幸せに感謝しなければ。

 

そうだ、セルフエスティ-ムを高めるのが大事と書いてあったではないか!自分を愛せない人間が他人を愛せる訳がないとも書いてあったじゃないか!ありのままの自分を認めて、自分の軸を持てと書いてあったじゃないか!

 

なるほど。

 

とは言え、ありのままの自分を知り肯定するにはかなりの訓練が必要じゃあるまいか。たぶん人間は、身体が成長するようには精神的には成長しないだろうから。黙っていても大人になれるってものではないからさ。

 

ありのままの自分をしっかと見つめるのは、こりゃ勇気がいるぞ。わーこれは黒い、真っ黒な自分がいるぞーと解ってから、初めてその先に進めるのだろうし。

 

そこまで考えたら、申し訳ないけれど暫くの間は勘弁してくださいという気分になったのである。いつまでもそこで停滞しないように、いつかは先に進めるように頑張りますから。

 

でも今は、この鬱々は全部自分以外の何かのせいにさせて下さい。季節のせいで、更年期のせいで、あいつのせいで、こいつせいで。そうやって他責的に逃げるのも人間の特権なのではないか。今この一瞬が今しかないものだとはわかるけれど、そのかけがえのなさに押しつぶされそうになることだってあるのだよ。

 

そこまで考えて、昼寝をした。のんきなものである。