一人っ子遠距離介護、私の場合⑧ 認知症になったら、ただただ不幸なのか?

私は、母が認知症であることを隠してはいない。もちろん、誰にでもこちらからどんどん話すわけではない。当然相手をみて話すのだけど、「お母さん、何のご病気?」と聞かれれば「認知症です。」と普通に答える。

 

反応は様々だ。「えっ⁉」と言って、恐ろしい秘密を打ち明けられたような顔になる人。「あ~そうなんだ。」と普通に受け止める人。「うちの母もだよ。」という人。(これは昨今増えてますね。でも、認知症だからといってみなが同じ感じでもないので、温度差があったりする。)

 

認知症については、最近は報道されることも多い。認知症サポーターの講習を受ける人も多いから、以前よりは身近になってるようだ。

 

でも、現実に身近な人が認知症にならないとピンとこないのは当たり前で、いまだに「恍惚の人」のイメージでいる人も多い。だから、認知症と聞くとギョッとしてしまうのだろう。

 

私は、人と場合は選ぶけれど、母のことは隠さないできた。特に母が一人で暮らしていた時は、身の回りの人たちに母が認知症だということを知ってもらえれば、何かあった時に助けてもらえると思ったからだ。

 

幸い、大きなトラブルに見舞われたことはなかったが、万が一何かあった時に近所の人がわかっていてくれたら助けてもらえる。

 

母は、認知症になってすごく不幸なのか?可哀そうなのか?

 

今の母は、私と夫の顔はちゃんとわかる。あまり顔を見る機会のない自分の妹のことは、あやふやだ。自分の20代、30代の記憶は鮮明で、50代以降のことは薄れつつある。亡くなった父(母にとっての夫)の出身地や、いつ亡くなったのかは忘れている。娘の私の出た学校はわからない。(この前「あんたはどこの高校を出たの?」と聞かれた。お母さん、私たち同窓じゃありませんか!)

 

20代はたぶんとても楽しかった時期だ。若くて、仕事も忙しくて、まだ独身で、友達と出かけたり、旅行に行ったり、いきいき暮らしていた頃だ。母にとっても、未来は光り輝いていて希望に満ちていたはずだ。

 

母の記憶はどんどん薄れている。

 

ただ、記憶が薄れるにつれて、母はまたどんどん穏やかに明るくにこやかになっているのも事実なのだ。昔は、几帳面で気難しく小言や愚痴の多い人だった。あまりにこにこしなかったし、私は母が苦手だった。

 

それが今は、いつもにこやかで楽しそうにしている。グループホームの人たちとコロコロ笑いながらお喋りしているおのを見ると、これは本当に私の母なんだろうか?と思うほどだ。

 

私には察することしか出来ないが、80歳を越えた人生のなかには、辛いことや思い出したくないようなことも沢山あったはずだ。不安で押しつぶされそうなこともあっただろう。母は40代後半に夫を亡くしている。今の私より若いのだ。

 

そんな辛い出来事は忘れてしまったほうが良いのだろうと思うのだ。何でも覚えていればよいというものでもないなと。忘れるのが不幸とは限らないなと。

 

勿論、認知症にも色々な症状があり、母のようなのんきな状態ではない人も多いと思う。毎日が戦いのような介護に追われて、疲れ果てている家族の人も沢山いると思う。

私はたまたま幸せな状態にいることはよくわかっている。

 

ただ、有難いことに母は今とても幸せそうで、毎日を今までになく穏やかに暮らしている。この穏やかな日々が一日でも長く続きますようにと願っているし、そのために私はなにが出来るだろう…といつも考えている。