一人っ子遠距離介護⑱ 母の近況

早いもので、グループホームに入居して10ヶ月近くになる。

 

初めは「ここには居られない。家に帰る。」と言って泣いたりもした。知らない場所、知らない人達に囲まれて、ただただ不安だったと思う。もう一人では暮らせないよ、ここで色々お世話してもらって安全に暮らすんだよと言うと、「うん、わかった。」とは言うけれど、その話自体を忘れてしまうのだから。

 

ホーム長は、「どの方もだいたい3ヶ月くらいで落ち着きますよ。知らない場所に急に置かれちゃうんだから、不安に思ったり捨てられた気分になるのは当たり前のことです。」と言う。

 

「でもね、少しずつ少しずつ、『ま、ここで暮らすのも悪くないかな。』 って気持ちが変わってくるんですよ。『ここにいよう。』とか『ここがいい。』ってほど積極的なものじゃないけど、『案外いいかも。悪くないかも。』ってなるんですよ。」

 

むしろ、家族のほうが葛藤を抱えて悩みやすいんです…「どうしても『自分は親を捨ててしまったんじゃないか。』『本当は在宅で自分が介護するべきなのに、責任を放棄しちゃってるんじゃないか。』って、なかなか納得できないのは家族の方のほうなんです。」

 

私は初めから、母を引き取って在宅介護したり、私が住んでいるところの施設に入居させて『呼び寄せ介護』するつもりはなかったから迷いはしなかったけれど、それでも少しの後ろめたさはあったように思う。「本当は同居して介護するのが一番理想的なんだろうけど…」というのは、ちょっとはあったと思う。

 

でもね、そんなことはないんだよね。勿論、沢山の人手があって、余裕があって、介護したい人はそうしたらいいんだけど。在宅が一番幸せとか、家族が介護すべきと決めつけるのは良くないと思う。

 

実際、ホーム長やほかの家族の人たちと話していてよくでるのが「家族(とくに娘)に対しては、きついことを言ったり当たったりする。また、家族もついつい親にはイライラした態度で接してしまう。」ということだ。

 

身近な家族どうしだから、遠慮なく言いたい放題になって傷ついたり、自己嫌悪に陥ったりということが起こりやすいんだと思う。家族だからこその軋轢って、なかなか厳しいものがある。

 

ホームでは、まわりはみんな他人だから、やっぱり少しは遠慮してきちんと応対することになる。お互いが親しくなっても、ちゃんと節度ある態度で暮らせる。認知症の人は記憶するのが難しくはなるけれど、人格が壊れてしまうわけではなくて、ちゃんとみんなお互いにいたわりあったり優しくしたりして、穏やかな人間関係を築ける。

 

ホームは、小さいながらもひとつの社会だ。母たちは、穏やかで優しい社会で、お互いに優しくされたり優しくしたり、自分の役割を持ったりひとの役割を認めたりしながら暮らしている。

 

家族としか顔をあわせない閉鎖的な環境で、お互いがギスギスして追いつめられるより、よっぽど人間らしい生活だと思う。

 

というわけで、(前段がこんなに長くなってしまったが)母は今、すっかりホームで落ち着いて暮らしている。2週に一度私は花材を持って行き、母に活けてもらう。広間のカウンター上と玄関に、花を飾る。

 

周りの人たちがみな「きれいだね。」「これはなんて花?」と話しかけてくれる。「上手だね。」と褒められて母は嬉しそうだ。毎日、水が少なくなっていないか見たり、枯れた花を除いて入れなおしたり、それが母の日課であり役目になった。