猫に死なれるということ。

私たち夫婦は、猫と暮らしている。そのうちの1匹が、昨年9月に死んでしまった。

 

元々病弱な子で、病院通いばかりしていた。これはもう大分悪い、覚悟して下さいと獣医さんに言われてから10ヶ月ほど、毎日のように病院に通って、できる限りのことはやった。

 

少しずつ弱っていくのを目の当たりにしていたから、私たちもそれにつれて少しずつ覚悟をきめていった。そもそも、いつかは最期の時を迎えるんだから…わかってたことなんだから…そう自分たちに言い聞かせて看病を続けた。

 

そして、とうとう死んでしまった。

 

1時間ほど苦し気に肩で息をしたけれど、安らかな最期だったと思う。最期にすうっと大きく息をした時、魂が抜けていくのがわかった。

 

出来ることは全部やったから後悔はないと思っていた。でも、実際に死に直面したら、そんな気持ちはどこかにいってしまった。後悔はないんだけど、後悔だらけ。もっと出来ることがあったんじゃないか、飼い主として落ち度があったんじゃないか、そんなことばかり考えている。

 

元々うちには5匹の猫たちがいて、4年前に一番上の子が亡くなった。もう悲しくて悲しくて毎日吐きそうなくらい泣いた。初めてのことで、どうしたらよいかわからないまま4年たった気がする。

 

今回は、少しは落ち着いて最期を看取らなきゃ、しっかりしなきゃと思っていたけれど。全然だめでした。

 

野良だったあの子と初めて会った時のこと。警戒心が強くてなかなか触れなかったこと。毎日えさをやって保護の機会を狙っていたのに、ぱったり姿を見せなくなって焦ったこと。保護するときに大暴れして、夫の手を咬んで血まみれにしたこと。

 

いろんなことが思い出されて。

 

猫5匹と人間2人の賑やかな大所帯。猫たちは毎晩走り回って遊んで、それを見ては大笑いしてた頃。私たちも若くて、まだこの先何でも出来そうな気分だった頃。

 

今が不幸だとは思ってないけれど、あの頃の我が家は間違いなくきらきら輝いて幸せだった。

 

あの子の死によって、そんな楽しい時代が終わってしまったんだなと思う。

 

  

相変わらずのスロージョギング

あまり思い詰めず、淡々とスロージョギングは続いている。でも「今日はどうしようかな~。行こうかな~、やめようかな~。」とか考えもせず毎回出かけているのだから、習慣になったということだ。

 

とり立てて何も考えずに、ぽくぽく走る。すごく遅いから、グーグルフィットにもランニングとは感知されていないのか、必ず「ウオーキング」と表示される。

 

今日のドームは盛況であった。サッカーコートではゲームをやっていたし、同じような走る人も多かった。幼稚園の遠足なのか、子供たちと保育士さんが座ってお弁当を食べていた。カラスもいっぱいいた。

 

まだ紅葉と言うには早いが、木々も少しずつ色づいてきて、赤い実がきれいであった。

 

 

ランニングもウオーキングも、不思議なことに男性がほとんどだ。8割がたがおじさんとおじいちゃん。たまに散歩しているおばあちゃんがいるが、必ず二人で歩いている。女の人は誰かと連れ立っていないと嫌なのか、一人というのはあまり見たことがない。

 

おじさんは大抵一所懸命走っている。真面目そのもので、私のようなおばさんに負けてはいられないと思うのか、私をグイっと抜かして追い越していくのだが、無理して頑張るからか、先の方で力尽きて歩いたりしている。

 

その点、おじいちゃんは最初から張り合う気持ちなどさらさら無いのと、真面目で礼儀正しいのが相まって、必ずと言っていいほど「おはようございます!」だの「こんにちは!」だの、ご挨拶される。こちらも、よろよろしながらご挨拶をかえす。

 

走りながら「やあ!」とか言うおじさんはいないし、不愛想でつんけんしたおじいちゃんもいない。不思議である。

 

おじさんたちは、大変ファッショナブルで色とりどりである。(タイツのようなものの上に短パンのようなものを履くのが流行っているのだろうか?多分、私が知らないだけでそういうのがポピュラーなのであろう。)南国の鳥のようである。

 

むすっとしているおじさんたちも、スポーツ用品店でうきうきしながらランニングウェアを買ったのであろうか…などと勝手に想像したら、おじさんたちが何だか可憐に思えてきたのだった。

 

 

一人っ子遠距離介護、私の場合⑰ 訪問販売の後日談

山ほどあった布団を返品し、全額とはいかなかったものの返金もされて、少しずつ平穏な日々が戻ってきた。家に押しかけて来られたり、真夜中に電話で脅されたりといったことも当然無くなり、母は心底ほっとしたようだった。

 

でも、自他ともに認める「しっかり者」の母にとっては、訪問販売につかまっちゃったことはすごく恥ずかしいことであり、ましてや娘の私に全部知られて後始末をしてもらったなんていうのは、大いにプライドが傷ついたのだろうと思う。(本人は何も言わなかったけど。)

 

それでも少しずつ落ち着いてきて、嫌な思いをしたことも薄れてきた頃。

 

いきなり警察から電話があった。訪問販売の件で話を聞きたいということで、慌てて母を連れて警察署に出向いた。体格が良くて、人相のけわしい刑事さん2人が男性の顔写真を沢山持ってきて、「お母さん、この中に知ってる顔はありますかね?」

 

母は2枚写真を選んで「この人たち、知ってます。」と言った。うちの母のところに刺さってきた布団屋は、当然ながらうちの母だけじゃなく色んな人のところにも行っていて、布団販売のほかにも詐欺とか恐喝とかやったあげく逮捕されたわけだ。

 

自分が捕まるようなことをしたわけじゃないが、警察に呼ばれるというのは緊張もするし、母にとっては大変なストレスである。

 

おっかない顔の刑事さんは、「お母さん、大変だったね。人を脅して物を売りつけるなんてのは、とんでもないことだからね。お母さんは何にも悪くないんだよ。」と、ずいぶん慰めてくれたが、母の耳に入ってたかどうかは何とも言えない。

 

せっかく忘れかけてきたのに、タイミングが悪いというか。悪いことしたヤツが逮捕されるのは良いことなのだが、母はまたちょっと思い出したようでどんよりしてしまった。

 

そのうえ、2ヶ月くらい後に犯人2人から手紙が送られてきた。反省しているとか、出所したら働いてお金を返しますとか書いてあった。こんなものはどうせ刑を軽くしてもらうためのポーズなんだろうけど、母は「私、返事出した方がいいのかな?」と言うので慌てた。

 

自分の母親が、こんなに信じやすいというか、人が良いとは知らなかった。いい人なんだな~優しいんだな~と思った。でも、それで騙されたり脅されたりするのは困るんだけど。

 

せっかく忘れかけていたことを思い出して、またなんとなく調子が悪くなった母は、この後鬱病になってしまい、3ヶ月ほど入院した。

 

今振り返ると、この頃が一番暗い時期だった。母は今、訪問販売のことも鬱病で入院したことも全然覚えていない。こんな嫌なことは覚えてないほうがいいのだから、それを考えると、認知症に救われることもあるんだな~と思う。

 

 

一人っ子遠距離介護、私の場合⑯ 母、訪問販売にムシられる。

まだ母が自宅で暮らしていた頃。母宅に行くと、なぜか2㎏の米袋が2個。液体洗剤の瓶が3本。「どうしたの?」と聞くと、「よくわからない。」と、なんだか要領を得ない。それでも根気よく尋ねたら、じわっと思い出したようで、新聞の購読申し込み書を出してきた。2年間の契約になっている。

 

「お母さん、もう新聞とってるよね~?」もう長年とってる新聞があるのに、拡張員に無理やり契約させられたようだ。80過ぎのおばあちゃんに(しかも、もう1紙すでに購読してるのに)長期契約って何なの?!ということで、夫が、その景品全部持って販売店に出かけて断ってきた。これで、この件は一件落着である。良かった…とホッとするが、この手の話には本当に嫌な思い出がある。

 

母は、10年ほど前に訪問販売で数百万ほどムシられたことがある。布団であった。

 

ことの発端は、「布団の打ち直しをしませんか?」という飛び込みの訪問販売が来たことから始まった(らしい)。当時、テレビコマーシャルも流していた会社だったので、母は信用して打ち直しを頼んだようだ。

 

その後、なんだかわからないが上手に家に入り込んで、羽根布団のがわ生地を取り換えるのを勧められたのを皮切りに、タオルケット・夏掛け・敷布団・毛布・敷きパット・などなど次から次から買うことになった。

 

一段落すると、今度は別の会社がやってきてまた色々勧める。家に上がり込んで帰らない。根負けして、買ってしまう。というのを、母は繰り返してしまった。

 

羽根布団などは、前の年にがわ生地を替えたのに、また別の会社が来て「生地が傷んでいるから替えないとダメ。」とかなんとか言って、て持って行ってしまう。それを3社が入れ替わり立ち代わりして繰り返したようだった。結局、一枚の羽根布団で3回儲けたわけだ。

 

「もう買えない。」と母が言うと、今度は脅されるようになった。ドアをこじ開けるようにして家の中に無理やり入り込む、居座る、「30万払えば、もうこれ以上買わなくていいようにできる。」などなどと恐喝されるようになった。

 

と、事ここに及んで初めて、母は私に助けを求めてきたのだった。

 

びっくりしましたよ、ホントに‼ 訪問販売のトラブルや詐欺なんて、まさか自分に降りかかってくると思ってないもの。

 

母のところへ飛んで行って、布団類を確認し、領収書を全部持って消費者センターに相談した。もう、クーリングオフの期間はとっくに過ぎていたが、なんとかしてほしいと必死に頼んで交渉してもらった。

 

購入の経過、恐喝まがいの販売方法、一枚の羽根布団を短期間で3回も直していることなどを全部書面にして、業者との面会を取り付けてもらった。我が家に布団30枚ほどを広げ、手にレコーダーを持って、それぞれの業者と話をして全部返品・返金してもらうことになった。

 

消費者センターの担当の方が頑張ってくれたこと、たまたまその業者が社名公表直後だったり、倒産直前だったことも幸いして、(全額ではないが)8割強取り戻せたのは奇跡だと思っている。

 

もし今、ご縁があってこのブログを読んでいる方々で、親が高齢で独り暮らしの方がいるなら、訪問販売には気を付けて!と伝えたい。そして、ぜひ次のことを覚えていt欲しい。

  • 普段から親の家に行って、新しいものがどんどん増えてないか?ものを買ってないか見ておく。
  • クーリングオフ期間を過ぎていても、諦めない。市の消費者センターがダメでも都道府県の消費者センターに相談する。
  • 絶対に、親本人を責めない。

なんで、そんな高額なものを買うんだ!騙されるほうがおかしい!そんなふうに言いがちだけど、相手は言葉たくみなのだ。途中からは脅したりする。一人暮らしの高齢者(特に女性)は、恐ろしくて逆らえなくなる。今回で最後だ…これさえ払えば解放される…と思ってずるずる払い続けるところまで追いつめられる。

 

親は、こんな目にあったことを子供に知られたくないので、ぎりぎりまで黙っている。恥ずかしいと思って1人で悩んでいるうちに、大事になってしまう。

 

オレオレ詐欺だって訪問販売だって、騙す方が悪いんです。親は悪くない。

 

 

 

 

 

 

 

 

良くも悪くも、歳をとったなぁ~と思うこと。

最近、自分が歳をとったなぁ~と思うことが増えた。さほど悲観的でもないのだが、いままでとは勝手が違うことが多くて、どうしたものやらという感じ。

 

目が悪くなった

普段は眼鏡とコンタクトレンズを使い分けているが、どちらも今一つ合っていない。元々近視で乱視で、そこに老眼が加わったのでもう近くも遠くも見にくい。目が悪くなると、

  • 本を読むのが億劫になる
  • 字を書くのが億劫になる
  • 太る

以前に比べて格段に本を読まなくなった。筆まめだったはずが、葉書の一枚も面倒でなかなか書けない。鏡やショーウィンドウに映る己の姿が薄ぼんやりしているので、太ったことに気づきにくくなっている。(見たくないからかもしれないけど。)

 

姿勢が悪くなった

これはまた、深刻である。筋力が落ちているからか姿勢が悪くなった。今日いつものようにスロージョギングしていたら、ガラスに背中の丸い太ったおばさんが映っていた。よくよく見たら自分であった。姿勢が悪いとこんな問題が出てくる。

  • 足・腰・膝などに(いずれ)故障が出てくる
  • 太る
  • 不健康になる

人の頭は平均5㎏ほどの重さがあり、身体はそれがてっぺんに付いているという難しいバランスの構造になっている。背中が丸くなってその重みが斜めにかかってくると、実際の重さよりも大きな負担が首やら腰やらにかかって痛めることになる。バランス悪く立ってるからか、足の裏に魚の目ができてしまった。

筋力も落ちるので、代謝も落ちる。丸まった背中に肉が付く。

内臓が押しつぶされて酸素がうまく入ってこない、胃腸の調子も悪くなる。(最近胃の調子が悪い)

 

身体的な変化はこの二つが大きいが、気持ちの経年変化も感じるようになった。

 

子供の頃に食べたものが、やたらと美味しく感じられるようになった

料理が好きで、食べたことのないものや新しい味に興味津々だったのに、最近は昔食べたもがやたらと美味しく感じられるようになった。例えばこんなもの。⇓

 

   生たらこと突きこんにゃくの煮物

 

たらこは、真鱈じゃなくてスケソウでとか、白滝じゃなくてで突きこんにゃくでとか、母親が作っていた通りに再現する。子供の頃は「なんだ、こんなもの」と思っていたお惣菜でしみじみするようになった。

 

あまり怒らなくなった

歳をとって丸くなったのか、腹が立たなくなってきた。良いことなのか悪いことなのか、よくわからない。物事にあまり白黒つけなくなったので、気持ちはわりと穏やかだが、どうなんだろう。

 

嫌なこと・気乗りのしないことは極力しないしないようになった

残りの人生、あんまり消耗したくないので、無理をしなくなった。人間関係でも疲れたくないので、嫌な人がいたらす~っと気配を消すように逃げている。このままいけばタコやカレイのような擬態能力が身に着くかもしれない。

 

身体的には対策をとって改善しなきゃならないことばかりだが、その他の点では、歳とって悪くなったというわけでもない。若干、向上したようにもみえる。結局、ものは考えよう、考え方しだいで結構幸せになれるということである。

 

一人っ子遠距離介護、私の場合⑮ 「入居のタイミングを探る」の続き

念のための検査入院で、転んで頭を切り足を折った母。それでも2泊3日でシーネをつけて退院したのだった。

デイに復活 

 

さて、これからどうするかをケアマネさんと相談。頼もしいケアマネさんは「いやぁ~大腿骨骨折じゃなくて本当に良かった!デイ、増やしましょう!他はお元気なんだし、家に籠ってたらかえって良くないです。デイ、4日にしましょう!」と、言ってくれたのだった。

 

デイでは歩行器を使って歩き、シーネにビニールをかけてシャワー浴させてくれた。行き帰りは車椅子でバスに乗せてくれて送迎してくれた。本当に有難かった。

 

私も忙しくなった。頭を切ったのは脳外科、足は整形、元々の持病は心不全なので循環器内科と外来にいかねばならなかったので、しばらくは毎日のように高速バスで母のところに通うことになった。

 

そして、一か月後には頭の傷も順調に治り、足のシーネも外せた頃。

腰が痛い? 

 

「なんか、ちょっと腰が痛いのよね。」と言う母を連れていつもの循環器内科に行った時のこと。心電図の検査で横になっていた母は、検査が終わった後に腰が痛くて痛くてピクリとも動けなくなったのだ。

 

痛くて絶叫する母。CTやらMRIやら検査しないと何が起こったかわからないといって、看護師さん4,5人で持ち上げたり運んだり。そのたびに、「痛い~!!!」と叫ぶ母。

大変な騒ぎであった。

 

結局何が起こったのかと言うと、母は背骨を「圧迫骨折」していたのであった。

 

で、そのまま入院である。ああ、もうこれで認知症もググっと進むな~と覚悟した。

それからの2週間ほどは、寝返りさせられても食事のためにベッドを起こされても、母は痛くて痛くてギャン泣きである。

 

本人「死んだ方がまし!」とまで言って痛がったのだ。可哀そうであった。

 

入院している病院は急性期を過ぎると退院しなければならない。急性期を過ぎたといっても、一ヶ月入院した後なのだから、前のような暮らしにはもう戻れない。次は、療養型の病院に転院してくださいとのことだった。

決心する 

 

ここで、もう一人暮らしは無理、なんとかしてグループホームに入れようと決心した。ていうか、もうこれしか選択肢はなかったのだけど、この時母の独り暮らしは終わったのだった。

 

もう奇跡としか言えないのだが、申し込みしていたグループホームに連絡をとったら、あと一ヶ月くらいで空くかもしれない…と。そこで「今度は入居させてください!」とお願いして準備を始めた。

 

一ヶ月で退院と言われた病院には「グループホームの入居が決まりそうだから、それまではおいて欲しい。あちこち転院して環境を変えると認知症が進むから、転院させたくない。」と頼んで、結局半月ほど長く入院延長してもらった。

 

母は病院からまっすぐグループホームに入居して、現在にいたる。

 

ホームの空きのタイミングと、こちらのタイミング、両方がぴたっと合うなんていうのはほとんど無いのだろう。だから、母の場合はただのラッキーなのだけど、とにかく早く申し込みしておいて良かったと思う。

一人っ子遠距離介護、私の場合⑭ いつ親に引導を渡すか?入居のタイミングをさぐる、その1

とりあえず、「ヘルパーさんに来てもらい、デイにせっせと通いつつ、今まで通り自宅で暮らしたい」という母の希望に沿ってきたのだけど。いつかは独り暮らしが難しくなって、グループホームに入ってもらうことになる。申し込みは出してある。

 

さて、どのタイミングで入居させるかだ。

 

もちろんグループホームは常に満床だから、空きが出来て自分が待機名簿の一番上に名前がないと入居できない。いざ空いて打診された時にまだ元気だったら、もう少し頑張りたい。でも、断って他の人が入った後に急に入居させたくなったら。急にガクッときてもう無理ってなっても、次の空きの順番がこないと入れない。

 

悩みに悩んで一回断る

 

母が介護サービスを受けるようになってちょうど2年たったころ、「そろそろ空きそうなんですけど、どうですか?」とグループホームから連絡が。この時は本当に迷った。

やっときた順番、これを流すと(待機名簿は一番上のままだけど)今度はいつ声がかかるかはわからないんだし。

 

ヘルパーさん週2回、デイ週3回、食事は配食サービスと私の差し入れでなんとかこなし、週2回私が通う…という形で、ギリギリなんとかなってはいる。母はデイが楽しくて楽しくて上機嫌だ。というわけで、ケアマネさんとも相談してその時は断る決心をした。

まさかの頭部裂傷

 

そうしたらその2週間後、母は転んで頭を切ることとなる。え~~なんで今?!断らなきゃ良かった。入居させてたらそんなことにならなかったのに…と後悔してももう遅い。まさか、こんな事になるなんて思ってないから!!

 

話せば長いことながら、母はなぜ頭を切ったか?母は、デイサービスで急に気を失って救急搬送されたのだ。私も大慌てで駆け付けたが、その時はケロッとしていて元気だった。お医者さんも「色々検査したけど特に異常もないです。貧血からくる失神でしょうかね~よくあることですし、心配ないですよ。」と。

 

「でも、ご高齢ですし、念のため今晩一晩入院して、明日の朝一応心電図とって退院したらどうでしょうか?」との話。前回の入院でちょっと混乱した母だったことを思って、ん~~どうしようかな?と私も思った。でも、一晩だけだし、看護師さんにも認知症だということを伝えておけば大丈夫かなと。

 

そしてその晩自宅に帰った私のところに病院から電話が。「お母さんですね、病室で転んで頭を切りまして。9針縫ってます。脳波に異常はないですし大丈夫ですが、明日もう一日入院になります。」との電話。

 

本人は頭切っても次の日には「よくおぼえてないんだ~。」と元気だったのが救いだが、やっぱり夜中に、ここはどこ?って軽くパニックになって転んだらしい。私は、連れて帰ればよかった…と後悔した。

 そして骨折

 

しかも、その2日後「なんか足の甲が痛い気がする。」というのでレントゲンを撮ってもらったら足の甲がぽっきり折れていたのだった。

 

認知症だから一段とそうなのだろうが、痛みも感じにくくなってるようだった。だって、あの後歩いてたんだよ!!ポッキリ折れたまんま、歩いてたわけ???恐るべし、母。

 

というわけで、母は頭を9針縫い、左足の甲を折ってシーネで固定されたのだった。

ちょっと長くなったので、一旦ブレイク。次につづく。