一人っ子遠距離介護、私の場合① それはこうして始まった。

親の介護は、ある日突然やってくる。自分が一人っ子だということは生まれた時から重々承知していることなので、いつかは自分ひとりで親の介護をすることになるだろうということはわかっている。世の中の一人っ子はみんなそう。

 

かくいう私も、いつかはそうなんだろうな~と薄ぼんやりと思ってはいた。私は19歳の時に父を亡くし、その時にはもう大学にいってて家を離れていたので、母は独りで暮らしていた。

 

私自身、仕事が忙しかったり転居したりで会うのは年に数回だが、毎週電話したり荷物を送ったりして常に連絡は取りあってきた。母は60歳まで仕事をし、退職後もシニアの体操サークルに行ったり生け花のお稽古を続けたり、元気に暮らしていたようにみえた。

 

2015年の夏ごろから、なんとなく変な感じはあったのだ。同じ話が繰り返される。荷物を送るというから待っていても一向に送ってこない。確かめると「そんなこと言ったっけ?」という。毎度「風邪気味だからお風呂に入ってない」と言う。

 

そして2015年の12月はじめ、家を訪ねた私に母が「お母さんね、脚が腫れてるの」と言うのだ。見せてもらって驚いた。母の脚は、腿から足の先までパンパンに腫れて、普段の倍ぐらいになっていたのだ。

 

慌てて救急外来を受診、そのまま入院となった。病名は慢性心不全である。脚の腫れは、心不全からくる浮腫だったのだ。母は独り暮らしであったから、私は「とりあえず入院できてよかった。病院にいれば安心」と思った。

 

心不全の治療は順調に進み脚の腫れが取れた頃、ぽつぽつと問題が起こりはじめた。一日3回の薬を飲み忘れる、見舞いに来た人を覚えていない、何度センサーをつけても外してふらふら歩くなど。そこで、看護師さんから、認知症ではないか?と言われたのだ。

 

ああ、やっぱり、、と思った。夏頃から違和感はあったのだ。同じ話が何度も繰り返される。荷物を送るというから待っていても一向に送ってこない。確かめると「そんなこと言ったっけ?」と言う。風邪気味だからと言って何週間もお風呂に入っていない。いつも同じ服ばかり着ている。身なりに気を使わなくなっている。冷蔵庫に傷んだ食品が入っている。

 

環境の変化・入院で一気に認知症が進むというのは本当だ。夏あたりからおもてに少しずつ表れてきていた症状が入院で一気に進んだのだと思った。もうこうなったら、今後の生活のめどを早くたてねばならない。病院のソーシャルワーカーに相談して、入院中に介護認定の手続きを始め、地域包括支援センターに連絡をし、年明けすぐに精神科で認知症の検査を受ける予約を取り、入院しているうちに出来ることは全部やっておいた。

 

心不全は3週間ほどで落ち着き年末に退院となったが、ひとりの家に帰すわけにはいかず、とりあえず母の妹夫婦のところに年末年始預かってもらうことになった。母とは仲良しの妹夫婦だから安心と思ったが、いざ連れて行ってまた驚いた。母は自分の妹がわからなくなっていたのだ。

 

こうして私の「一人っ子遠距離介護」は唐突に始まった。2015年の年末から2018年5月にグループホームに入居するまでの2年半、いろんなことが起きるのである。

 

これから少しずつ、不定期になるとは思うが、今日までの顛末を書き記していきたい。